Discus
暗い交差点をわたり 小さな路地に入りかけたその場所に
小さなペンライトに照らされたような Dの文字が浮かぶ
よくみると いくつかのアルファベットがならんでいる
小さな扉が 同じ文字の羅列している木の看板を下げている
今夜はもうすでに 頭の中はぼんやりしている
仕事の終わりに少しだけ 付き合いの席に顔を出し
そのあと 通いなれた店へ回った
さらに その後だった
気づくと その木の扉に手をかけていた
「いらっしゃいませ。 お足元に気をつけて。」
私の存在に扉の向こうから気づいていたのか
すんなりと開いた扉の中から 声がかかる
店の奥へと進められる
カウンター席が7つ テーブル席がいくつかの
小さなバーだった
店の中は静かな空間があった
ほんのりと 浮かび上がるような光の中に
低音を丁寧に響かせるスピーカーからジャズが流れている
壁のメニューボードには丁寧に文字か書かれている
今日のおすすめ
レーズンバターとレモンバター
その文字を見つけてふと 気持ちが浮いたのはなぜだろう
最近、バーに入っても落ち着きの無いメニューボードがある
軽い飲み物しか出てこないような不安を感じさせるそんな文字
バーテンダーが メニューを開いて静かに待つ
ゆっくりとページをめくってみる モルト、スピリッツ・ワイン・ビール
ビールと日本酒をのんだあとの頭で 食後にさっぱりと
でも せっかくの酔いをさまたげない そんな気持ちにあうアルコール
「おまかせします・・」
そう 口に出そうとしたが
バーテンダーは さらに 静かに待っている
もうすこし メニューを楽しんでみた
テキーラの文字を見つける
数種類のなかに シルバーをさがしてみる
「テキーラを。」
「はい。 シルバーとゴールドと。。」
「シルバーで。」
「飲み方はどうなさいますか?」
「ライムとソーダで お願いします。」
「かしこまりました。」
静かにメニューを閉じてバーテンダーはさがる
暗い店の中は光の中に浮かび上がっていた
アールデコ調のランプと スタンダードなランプ そして
正面に蒼い光が広がっている
その蒼い光の中には こちら側とはまったくの違う空間が広がり
こちら側の時間を止めるように
熱帯魚の水槽が広がっていた
ゆっくりと 背びれを動かしながら泳いでいる熱帯魚たち
カウンターには 二人連れのお客が二組
テーブル席にも二人ずれのお客が座って静かにアルコールを楽しんでいる
大きな声を出すものは一人もいない
静かに語り合うお客がそこにはいた
熱帯魚の呼吸に合わせて ゆっくりとアルコールを楽しんでいる
「おまたせしました」
「ありがとう」
トールグラスに 透き通ったテキーラが運ばれてきた
ソーダの量を控えめにしてある
ほんのりとライムの香るテキーラ・リッキーが目の前にある
熱帯魚の泳ぐ呼吸に合わせて ゆっくりと
一口目を口に含んだ
水槽には大きく育った 蒼いDがいる
その魚の青さが店内に蒼い光を浮かび上がらせていたのか
グラスの中のライムグリーンとソーダ越しに
Dが泳いでいる
左から右へ ゆっくりと泳ぎ渡る
振り返るのも面倒なように ゆっくりと向きをかえ
右から左へと 泳ぎ戻る
砂時計が時を静かに刻むように
Dが行きつ戻りつ時を刻んでいる
目が蒼さになれると店の中の様子が感じられるようになる
カウンターに二組 スーツ姿の男性の二組だった
ふと 横を見ると やはり スーツ姿の男性二人組みだった
男性の隠れ家だった
読みかけの本を持ち合わせていないことを
少しだけ悔やんだ
静かに本を読んでいるだけで その店のスタンスに
溶け込む意思表示が出来ることを知っている
目の前に広がる水槽の中のDが ニヤッと笑った気がした
この蒼い光の中に吸い込まれるような 危ない笑いだった
男性達は何を話しているのだろう
笑うでもなく 難しい顔をするわけでもなく
静かに会話して アルコールの入っているグラスに口をつけている
この店のマスターはDなのだろう
Dの息遣いで 店の時間が刻まれていき
Dが拒めばあの扉は開かないのだろう
Dの動きが止まった
私のグラスの中も 空になる
テーブルでのチェックを済ませ
席を立つ
「また おまちしております」
「ごちそうさま」
静かに扉は開かれ私は外へと出る
振り返るとすでに 静かに扉は閉じられ
そこに 先ほどと同じように ペンライトにアルファベットが浮かび上がっている
そっと 指先で触れ 心の中で微笑んで店に背を向けた
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